十一月です

  • 2018.11.04 Sunday
  • 14:16

 ハロウィンが終わり、街の木々が色づいてきました。

 

 

近所のススキ

 

 

 

立山黒部アルペンルートの旅のつづきです。行ったのは十月中旬ですが・・・

 

標高2450mの室堂から、バスで標高1930mの弥陀ヶ原へ向かいます。

 

バスの車窓から、前に来た時は雪まみれだった雪の大谷付近を通過。

 

 

 

雪があった時はこんな様子(2015年5月)

向きが違いますが、別世界のよう。

 

 

 

 

雪がないとき

 

 

 

あるとき(2015年5月)

この日は快晴で遠くの山々が美しく見えました。

 

 

二十分ほどの乗車で、高原バスは弥陀ヶ原に到着。

 

 

 

今宵は弥陀ヶ原ホテルに泊まる予定でしたが、午前中に着いたので、チェックインは出来ません。

弥陀ヶ原ホテル。冬季は豪雪で閉館しています。

 

 

 

標高が2450mあった室堂から一挙に500m近く降りてきて、体はぐっと楽になりました。

夫は酸素不足で、体がだるくなっていたそうです。私はそれほどひどくはありませんでしたが、階段を上がるたびに息が切れました。やはり高い所は、空気が薄いと感じます。

弥陀ヶ原も2000近いのですが、室堂から降りてきた身には、本当に楽です。

 

 

 

ホテル付近の木道を散策することにしました。木道から出てはいけないようです。自然保護の為でしょう。

 

 

 

紅葉が終わりかけていますが、ところどころ赤い木々が見えて美しい。

 

 

 

奥の建物は弥陀ヶ原ホテル

 

 

 

石の飛び橋

 

 

降雪時の雪の重みでこういう形になったと思われる木

 

 

 

広々とした弥陀ヶ原

 

中部山岳国立公園・ラムサール条約登録湿地・弥陀ヶ原・大日平と書かれています。

 

 

 

この木道散策コースは一周できるようになっています。

 

 

室堂を結ぶ登山道。木道ではなく、普通の登山道。

少しだけそちらへ歩いてみました。

 

 

本当は室堂から弥陀ヶ原まで歩きたかったのですが、雨が降る予報と途中の道が荒れていると聞いたので、止めました。

もし室堂から歩いて来ていたら、この道から出てきたはずなのです。

 

 

せせらぎ

 

 

 

 

 

 

 

再び木道に戻って来ました。

このあたりは、ガキ田(餓鬼田)と呼ばれる池塘が多くあります。ガキ田とは、伝説によると、立山の餓鬼道地獄に堕ちた亡者が作った田んぼという意味だそうです。

 

 

色々な形がありますね。

 

 

 

弥陀ヶ原ホテルが見えます。

 

 

池塘の中に草が生えています。
これは、ミヤマホタルイというカヤツリグサ科の植物だそうです。

 

雨の予報の中、少しも降らずに守られて、本当に感謝です。

 

 

この後、弥陀ヶ原ホテルで昼食をいただきました。お腹が空いていたので、おいしかったです。

 

 

 

と同時に外は雨が降り出しました。窓の外を見ると雨具姿のお客さんが散策に出発するとところでした。

 

 

食事が終わると、雨が上がったので、今度は立山カルデラ展望台コースを歩くことに。

弥陀ヶ原バス停近くの立山山荘脇の道を上がります。大きな石畳の道ですが、けっこうデコボコ。

雨で滑りやすくて歩きにくい道。

 

 

 

でも周囲の自然は素晴らしかったです。

 

 

下向きの枝の木。こういうのを見たのは初めて。

 

高山の木々

 

 

 

 

 

背の高いトウヒ

 

 

展望台に着きましたが霧で何も見えませんでした!

 

 

 

晴れていたらこういう景色が見えたはず。

 

 

帰る頃に小雨が降りだしました。

 

霧も発生し、帰り道は何も見えなくなりました。

 

 

 

立山山荘の付近まで降りてきたときは、雨足が強くなっていました。

美しい木々が見られ、満足と感謝の弥陀ヶ原散策でした。

尻尾で雨雲を追い払ってくれた、天国の愛犬たちに感謝!

 

 

立山黒部アルペンルート次回につづく

 

晴れていたらこんなんだったかな?

 

立山カルデラ展望台からの眺め

 

この時期になると聞きたくなる懐かしい歌

 

 

 

 

某海岸で、サギのカップルを見ました。

 

 

 

波が押し寄せる

 

 

 

 

ほな帰ろか・・・

 

 前に診てもらっていた医者からメールが届きました。

「今年は喪中ですが、喪中はがきの発送をとりやめ、以降の年賀状も欠礼することに致しました」とあったので、てっきり、喪中だけでなく、以降ずっと年賀状を辞めることにしたのかと、勘違いしてしまいました。

喪中でしたら、来年の年賀状は来ないと言うことが、わざわ書いてなくてもすぐに分ります。

 それを「以降の年賀状」とあるので、その後ずっと年賀状を出さないと言うことだと思ってしまいました。きっと身近なご家族が亡くなられて、年賀状を今後書かないことにしたのかなあ?などと案じておりました。で、ありきたりのお悔みと、今までお世話になったお礼など丁寧に最後のご挨拶としてメールを返したのです。

すると、数時間後に返事が来て「こちらは元気です、これからもどうぞよろしく、またメールします」などと書かれていたので、なんのこっちゃ?メールって何を書いてくるの?と思いつつ、ふっと気が付いたのです。年賀状を出さないと言うのは、喪中だから今回だけだと言うことに。

 その先生には現在かかっていませんが、友人たちが入っているとあるサークルでいっしょに活動しているので、毎年発表会の時に会う機会があります。最近はメールすることもないので、「またメールします」はあいさつ文でしょう。別に会うかどうか分からなくとも「またお会いしたいです」とか「またランチしましょう」等と書くのと同様、よく使うごあいさつ文。

それはともかく先生の 身近なご家族(奥さんとか子供さん達とか)に何かあったわけでないらしいので、ほっとしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  • 2019.07.06 Saturday
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